東京新聞 2016年(平成28年)5月10日(火)
新聞掲載記事

【ふくしま便り】
アウシュヴィッツ平和博物館を訪ねる 
傍観しない精神を学ぶ

 「レスキュアーズ」(救出者)という言葉を知っているだろうか。第二次世界大戦中に、ナチスによる迫害や虐待に苦しむユダヤ人を勇気を奮って守った善意の人々を呼ぶ。日本人では命のビザの杉原千畝(ちうね)氏(外交官)が有名だ。福島県白河市にある「アウシュヴィッツ平和博物館」の展示室には、彼らの肖像が誇らしげに掲げてある。戦後七十年以上が過ぎ、戦前回帰の空気が立ち込め始めた日本。今、学ぶべきは先人の「傍観しない」精神だろう。博物館に足を運んだ。

 東北の玄関口である白河市。山桜に彩られた山あいにアウシュヴィッツ平和博物館がある。六千坪の敷地の中に、古民家風の本館、アンネ・フランクの家、鉄道貨車を使った展示室、さらに原発災害情報センターの棟などが点在する。春は菜の花、ツツジ、桃などの花が咲き乱れる、とても静かな場所だ。

 本館展示室の中央が「レスキュアーズ」のセクション。欧州を逃れるユダヤ人に日本通過のビザを発行し、数千人の命を救った杉原氏のほか、餓死刑の男性の身代わりとなって「アウシュヴィッツの聖者」と呼ばれたコルベ神父、孤児とともにホロコーストの犠牲となったコルチャック先生など勇気ある市民に関する展示がある。
 小渕真理館長(59)が「当館の中でもっとも明日への希望がわいてくる展示です」と話した。

 アウシュヴィッツ強制収容所は第二次大戦中にナチスがポーランドに建設し、ユダヤ人大量虐殺の舞台となった施設。現存施設、遺品は人類の負の遺産として世界遺産に登録され、ポーランド国立オシフィエンチム博物館が管理している。同館の許可を得てレプリカなどを展示しているのが白河市の博物館だ。


 ルーツは一九八八年に始まり、日本中を巡回した「心に刻むアウシュヴィッツ展」。グラフィックデザイナーの青木進々(しんしん)氏(故人)が絵の勉強にポーランドに赴き、ホロコーストの実態を知ったことから始まった。小渕さんは当時からのスタッフだ。
 約九十万人の来観者を集めた同展が終了した後、栃木県塩谷町に常設館をつくった。ところが地権者の事情で、引っ越しを余儀なくされ、二〇〇三年に現在の白河市に移った。


 福島県で原発事故が起きたのは、この八年後のことだった。


 理事長の塚田一敏さん(77)は「ここに来たのは偶然でしたが、おかげで博物館は『アウシュヴィッツから福島へ』という新しい意味を持つことになりました。甚だしく人権がじゅうりんされている福島は、ホロコーストの延長線上にあります」と話す。
 塚田さんは、本職は古民家再生を得意とする大工さんで、本館の建物を手作りした。蓑(みの)かさに地下足袋、作務衣(さむえ)姿で庭の草むしりをする姿に風格がある。

 事故から二年後に、敷地内に原発災害情報センターが生まれた。原発関係の企画展示をする棟で、現在は韓国人の写真家・鄭周河(チョンジュハ)氏が南相馬市の被災地を撮った写真展「奪われた野にも春は来るか」が開催されている(六月二十日まで)。鄭氏の写真に人物はほとんど登場しない。荒野と化しつつある被災地の光景を、かつて植民地とされた朝鮮の大地と重ね合わせ、淡々とファインダーに収めている。

 「琵琶湖の一・五倍もの福島県の国土が放射能で汚染され、五年がすぎた。奪われた故郷を取り戻す作業は、かつての朝鮮のように困難です。それでも真実を見据えることが真の復旧につながる」と塚田さんは話す。
 レスキュアーズに話を戻そう。震災後、同館の来館者は激減したが、回復の兆しが見えてきた。それにともなって若者の姿が目立つようになったという。
 「集団的自衛権の行使が現実味を帯びて、戦争が身近になったのでは。アベ効果です」と小渕さんが笑った。そして、こう話した。「レスキュアーズは語っています。戦争にも原発にも傍観者じゃだめだということ。歴史を学ぶことで、未来を乗り越えることができるんです」

 同博物館への問い合わせは=電0248(28)2108。 

(福島特別支局長・坂本充孝)


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