小渕館長のつれづれ

センポ・スギハァラ

 「『おかしいぞ』。夏でも底冷えのする北ヨーロッパの早朝、午前五時。恐る恐る窓へ近づいて、そっと、カーテンをめくると、眼下には『一体、こんなにも大勢の人間が、どこから瀞き出したのか』と、思えるほどの群集が、寒風の中、身じろぎもせずに立っている。コートの襟を立て、じっと、こちらを凝視している人。寒さに震える手をこすり合わせている人。人。人…。吐く息の白さと、遠くの空から立ち昇る朝日のまぶしさで、目がくらんだ。

 一九四〇年夏、バルト海に面した小国リトアニアで日本総領事代理だった杉原千畝の目に飛び込んできた群集とは、ナチスドイツの迫害から命からがら逃れてきたユダヤ難民だった。

 人々は」千畝に『日本の通過ビザを発給してほしい』と懇願した。ヨーロッパの大半がナチスに占領された今、難民たちにとって唯一の脱出ルートは、シベリアを横断し、日本経由で第三国に逃れることだけだった。そして、ソ連領を通過するには日本のビザが必要だった…。

 人道的見地から、千畝はビザ発給の許可を本省に求めたが、応えは『否』。しかし、ビザを出さなければ目の前にいる人々が殺されるのは明らかだった。さりとて、本省の命令に背けば外交官生命を絶たれ、ナチスに命を狙われ、家族も路頭に迷う…。苦悩の末、千畝はビザの発給を決断する。『正しい選択』に、もう迷いはなかった…」

 杉原千畝氏のビザで救われたユダヤ難民は六千人余。今ではその子孫も含め、三万人以上と言われています。この杉原氏の実話に基づいた演劇「センポ。スギハァラ」が当館と上演実行委主催の「第四回福島文化フォーラム」の一環として八月三十日に福島市公会堂で上演されます。

 私たちは昨年のフォーラムでも杉原ビザで救われた元難民のS・スモーラ氏の講演会を行いました。二年続けて「杉原千畝」を取り上げた理由は、過度な競争と拝金主義が蔓延し、皆が自己中心となりがちな今こそ、杉原氏の「他者を思いやる心」を学んでいくことが、ますます必要だと感じたからです。

 「センポ」とは「千畝(ちうね)」が発音できない外国人に、杉原氏自ら「私の名前は『センポ・スギハァラ』です」と語っていたところから来ています。今回の演劇「センポ・スギハァラ」は一九九二年の初演以来、国内外で感動を与えた劇団銅鑼の演劇を、新しい視点からリメークしたもので、今回の福島公演が国内での初演となります。

 劣等感の裏返しのようなこじっけのプライドでなく、本当の意味での「美しい国」「思いやりのある国」の出発点となるこの演劇を、多くの方に見ていただきたいと心から願っています。

劇団銅鑼「センポ。スギハァラ」8月30日午後6時30分開演
福島市公会堂(詳細は電話0248-28-2108まで)。

2007年8月11日 福島民友新聞に掲載「みんゆう随想」
アウシュヴィッツ平和博物館長 小渕真理